世の中、自信がない人が増えているらしいです。
ネット社会の全盛期、隣の芝生が青く見えて困ることがありませんか?
自信を喪失する原因についてしっかり考えることは、明日をより強く生きる自分への栄養剤になり得るのです。
かくいう自分もその一人であって、何も出来ないなと常に我を憂いている。
最近英語出来ない事にダサさを感じています
この『自己肯定感』については、過去にこちらの記事でも書きました。
最近、自分に自信がないという人に出会った。
自信という言葉自体がちょっと難しいのではないのか、と最近感じているのです。
自信ってそもそもなんでしょう。
コトバンク様にはこう書かれている。
[名](スル)自分で自分の能力や価値などを信じること。
自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。
「自信を失う」「自信満々」
自信とは、自分を信じること。
『自分』で『信じる』で自信なのだ。
そう考えたら、自信がないという世間的な概念って、なんか崩れてくる気がする。
原因と対処法について考えてみましょう。
目次
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対処法『自分が思った以上に自分は何かにプロフェッショナルなのだと知るべき』
以前の記事で、私は自信がない人に対して『自己肯定』の大切さを説いた。
今回お話ししたいのは、それを発展させた話。
大事なのは『どの場面』で『誰に』『何を』『どのような形で』評価されるかに尽きる。
例えばだ。
僕はタイピング速度は普通の人より早いと思っている。
※ナウでe-typing様で計測しました。
Sランクというのは、オフィスで仕事する分には十分必要に足りる、というレベルらしい。
しかし、これはある人(日本のトップレベルに早い人たち)に言わせたら『ハナクソみたいなスピード』と言うだろう。
そしてそのような人達はプログラムやらライティングやら、銀行の会計業務等でそのスピードを抜群に活かしているに違いない。
ただ、超緩く考えて欲しい。
一般的な事務として。
楽天・ヤフー・グーグル・amazonの社員が自分より『絶対に早いのか?』と言えば、多分NOだと思う。
(こっちも20年以上パソコン叩いてますから)
世の中って、IT会社ってつまり。
『タイピングの速さ』だけ切り取って仕事をしているわけじゃないのは明白ですよね。
Google様なんてIQテストがあるわけで、僕なんて30くらいしかないんじゃないかというくらい。
同じように作家であれば構成が上手だけどキャラクターメイキングが下手な人もいれば、全てが70点だけど構成力が物凄い人もいる。
どの場面で、自分の能力が活かされるのかを考えたら。
『自分に自信がない』という言葉は一切必要がなくなるということだ。
適材適所という言葉があるが、人は何か優れてる所が必ずある。
だから、あなたに自信がないというのはただの錯覚にしか過ぎない。
自信喪失の原因は『性格と教育』が強く関係していたと思う
私達は学校教育の過程で、このように必ず言われている。
『100点が最強』
100点を目指せ。
90点以上は優秀。
80点以上は普通に勉強頑張ったね。
70点以上はもう少し頑張ろうね。
60点以下は何してんのお前と言われる。
30点以下は『バカ』の烙印を押される。
これがそもそもおかしいのだ。
勉強出来る=社会的な成功に繋がるのは明白で、絶対に必要。
だからと言って『出来ない=バカ=人としての価値がない=自信も無くなる』という図式に当てはめられるから、意欲が無くなっていく。
幸せな人というのは、周りと比べずに自分の道を信じて突き進んでる人ばかりじゃないですかね。
今第一線を張っている人って、つまりそういう事ですよね。
小さいことを重ねる事が
とんでも無いところに行く
ただ一つの道『イチロー語録』
— Tkoba (@YURUTABIyuru) 2019年5月26日
私が引き合いに出す将棋の『藤井聡太プロ』も『イチロー選手』も、つまりその分野(将棋や野球)に関する事象がめちゃくちゃズバ抜けている。だからプロと呼ばれる。
しかし、二人ともチェスは出来ないし、投手は出来ません。
(多分覚えたらクソ強いのは明白ですし、イチロー選手は元ピッチャーですが)
これらの事象に関しての採点って、義務教育課程で一般人はあんまり受けない。
だから、性格的に『自分なんて普通の人だ』と決めつけてしまう。
それが自信と性格の問題につながると思っている。
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世の中は一つだけ極めたら良いってもんじゃない
その藤井プロやイチロー選手ですら、学校の勉強を大切にしている。
その過程があって、プロという活動を行っている。
私達現代人に求められてる能力って、本当に一つなのか。
実はそうじゃないと僕は強く感じる。
自分は、ネットビジネスでご飯を食べている。
ブログも書くし、動画も作る。
今度は動画の制作依頼だけじゃなくて、動画チャンネルの企画依頼も来ました。
その活動の過程の中で求められているのは『トータルパワー(総合力)』だとはっきりわかる。
超簡単な例で例えます。
仕事だと思ってください。
今、ここに一つのリンゴがあります。
①このリンゴを隣の家に運んでください。
②家主がアメリカ人なので『こんにちは』と挨拶して下さい。
③家に上がって、普通に掃除をしてください。
④なんでもいいのでご飯を作って帰ってきてください。
これを全部やってください。
と言われて、出来ない大人はほぼいないですよね。
これが特に現代に求められてる能力のことだと僕は考えている。
①で佐川急便を呼んだら高い
②で英語講師を雇ったら高い
③でお掃除のプロを呼んだら高い
④でコックを呼んだら高い
全てをトータルでお安くこなせる人には需要がある
求めてるクオリティが『総合的に仕事が回る人だったらok』って条件だったら、誰でも挑戦できるわけだ。
僕は、この仕組みを真に理解することは、自信に繋がると強く信じている。
というのも自分は①~④まで完璧にこなせる人間ではないから。
でも、大体の人ってそんなもんじゃないですか。
①~④の例えがチープなだけで、これが営業だったら『まとめる力』とか『プレゼン能力』とかに変わってくるだけだ。
アパレル店員だったら『接客力』から『在庫管理の調整』とか別の力が求められるわけで。
現場に必要なのはいつも『そこそここなせてとりまとめ出来る人』が多いはず。
その際たる例が『会社にいるパソコン詳しい人』です。
「あ~××君。プリンタの調子悪いんだけど、見てくれないかな」
と部長が言えばすっとんで直す。
会社にはいつの間にか必要な人材になっている。
ってことは、それはその会社内での『パソコンのプロ』として見られていますよね。
これが自信の話に繋がると思うのです。
美味しいお店が自分にとって居心地のいい場所ではない法則
飲食店なんてこの話が顕著に出る。
多くの人が感じた事ある話です。
①料理は美味しいけど、お店の雰囲気がなんか……。
②お店の雰囲気はいいけど、料理がそんなに美味しくない。
③料理も良いし、お店の雰囲気も良い。だからいつも混んでる。
あなたはどの順番を重視しますか?
僕は②>①>③です。
③の『めっちゃ混んで並ぶ』店は、ここ一番では行きますが普段は絶対寄り付きません。
でも、ある人にとっては『え~!同じお金払うのに並べば美味しい物食べられるじゃん!』って言うかもしれません。
俺にとってはそれは無理なんですよ。
これと同じことで、飲食店の数だけお客さんの好き嫌いが必ずある。
じゃあ、経営してる飲食店の人たちは自信がないのでしょうか。
自信はなくてもなんか売り上げ上がってるから経営してるんですよね。
ってことは、全部の店が『集客』という一番大事な結果部分で自信を持っていいはずだ。
『1回こなしたら2回目もこなせる』を大事にしたい
自分の話ですが、やっぱり何か……中途半端な所があると常に思っている。
動画のクオリティアップの為に講座受講して勉強したり、本とか適当に読んでいるがプロには勝てないなと思う。
ライティングに関しても同様で、まだ突き詰める所なんて腐るほどある。
しかし、他の面で『総合的に』カバーをしている。
総合的にカバーしてるから、依頼が来る。
依頼が1件来たら、それはもうそういう仕事に成り得るわけで。
もちろん、先方には伝えることはある。
「自分はここまでしか出来ませんが、それでもいいんですかね?」
「十分です。今大事なのは~~なので」
と言われたら、もうそれで自信になるわけ。
最初から大きな仕事を任されてる人なんて世の中に一人も存在しない。
そこを履き違えて、小さい成功体験をバカにして大きな事をしないまま年月を過ごすと、なんか自信がない人生で終わる。
これが世の中の成功体験と自信喪失の裏だと、強く思ってます。
自分に自身がない人には、たった一つだけ伝えたい。
『今までやってそれなりに上手くいったこと』を大切にしてください。
それが人より格段優れてなくても、総合力できっと重宝される時が来る。
僕は人生7割の事が出来れば、なんとか事が回るというのを体現していきたい。
……ちなみに、自分で無理な時はプロに金を払う、というパターンで難を逃れます(笑)
自信を失ってる人は、今一度、自分の人生をゆっくり振り返ってみて欲しいのです。
きっと、一つや二つは何か褒められて突出した部分があるのですから、大切に思って欲しいですね。
ご覧頂きありがとうございました。