視点を変えられる人と、変えられない人。
私は、この原因は『若さゆえ』だと思う。
若い時は特に経験もないから『視点』というのは常に自分視点だ。
『●●というブランドが一番いい!』
(他の全部試したことないのに)
『●●っていうゲームはこうやって攻略する』
(攻略サイトに書いてある事やってるだけ)
ちょっと感銘を受けたら、それが全てだ!!というような若さゆえの過ち的なのって、誰しもがあったはず。
じゃあ、どこでどうやって視点を変える事が出来るようになるのか。
それは『挫折』を経験して初めてわかる……気がする。
ちょっと自分の失敗談も含めて、真面目に語ってみました(´ε` )
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家庭教師最強!!と思っていた若かりしころ
私の高校時代、それはバカの極みでした。
当時高校2年生で、家庭教師3人つけて『千葉大学に入りたい!!』と意気込んでいたんですよ。
成績は中の下くらいだけど、若いから『絶対に入りたい(ゲームもするけどなっ!)』くらいな感じで。
家庭教師さえつければ合格できる、そう信じてた。
で、結果は語る前でもないよね。
落ちて、浪人して、厳しい予備校に行って初めて気づいた。
『勉強って、誰かに教えてもらうんじゃなくて自分でするんだ』
こんな当たり前の事に18歳で気づいたんですよ(笑)
いや、これネタじゃなくてマジですから。
マジで、予備校に通って1か月くらいで先生に言われたんです。
『俺らは勉強の仕方を教えるけど、実力をつけるのは君たち次第だからね』と厳しく言われて。
その予備校は今じゃあり得ないくらい、超厳しい所で有名だったんですね。
結果的に行って良かったと思う。
で、自分の視野の狭さに気づきますよ。
俺は、『超弩級のバカ』な人間だってさ。
挫折を経て視点を得ていく
『超弩級のバカ』だった私も、頑張って大学入りますよね。
予備校時代の挫折で得たのは『自分の視点』じゃなくて『先生の視点』でした。
先生はハッキリ仰った。
『俺らはお前が落ちても受かってもどうでもいい。ただ、こんなに嫌な思いをして勉強してるんだから、どうせやるなら受かれ』
同じような事をあの林先生も言ってますね。
今までの僕は、生徒の視点。
なんで教えてくれてるのに、頭が良くならないんだよ!!みたいな責任の押し付け。
『先生の視点』を得たので『社会』を一つ知ったわけです。
大学に入ってもまだまだ挫折しますし、就職してももっと挫折する。
上司の視点を得たり、会社の視点を得たり、ね。
挫折を経験せずに大人になる危うさ
近年、ネットの発達によって『やった事ないのにやった風に』感じてる人が多いこと多いこと。
こんな事書いている私でも、やらかしてます。
やった事ないのに知った気になってる事なんて、普通の人よりずっとあると思う。
だってネット見まくるのが仕事だもん。
だから、自分の中で120%の確証がない事は書かない。
絶対言わない。
『知った気になって』はいますが、ブログでは絶対書きたくないし、っていうか言わない。
視点が一つしかないのに、裏側を知らないのに、それっぽい事沢山書く人で今世の中は溢れています。
だから視点を変えられないで凝り固まる人が本当に増えてるんだと思います。
言葉は書いてしまえば責任を負わないといけないわけで、それがヤフー知恵袋だろうがツイッターだろうがどこだろうが、書くって事は『視点』を固めたって事ですよね?
どの視点で書いているのか、伝えているのかを明確にしないのにガンガンつぶやいちゃう。
そうなると、それが自分の中での『当たり前』の視点になる。
危うさに気づかないまま、なんでも発言しちゃう。
それじゃ、まだ足りないんじゃないのかなと思うのが今日この頃なんですね。
視点を養う為には本を読むことが一番だ
当たり前に言われてることですが、本のメリットって……最大の長所はなんだと思いますか?
私は人に『本のどこが面白いの?』と聞かれた事があります。
その時、必ず言えることがあるんですね。
『人が一生懸命書いて、お金を貰ってるくらいまで昇華させてるって事は人生が詰まってるわけだ』
人生を体感できるのが読書なんですね。
もちろん、読書とひとくくりにしても「じゃあラノベはいいのか?」とかなると思います。
私はラノベでも良いと思う。
本を読んで、自分が主人公の視点や敵の視点で物事を考えること。
現代人が足りない物って、共感性だとふと思う時があるんです。
自分もそうですが、人の気持ちが分からない時が多い。
そんな他人の視点を養うのに一番なのは、読書なのは間違いないと思うんです。
特に私は歴史を推してますが、歴史はとんでもなく良いですよ。
だって、人生に勝つ方法だって戦争に勝つ方法だって書いてあるんですよ。
これほど素晴らしい書物はこの世にないんじゃないか、と思うんです。
視点を養う事の大切さをもっと問うて行きたいですよね。