先日の事ですが、ちょっと意見の違う人間と遭遇しました。
なんか言ってる事は正論なんだけど、話すべき場所と言い方がてんでバラバラ。
まず、人に注意をするならみんなが見える場所じゃなくてオフラインでやれ、と激しく言いたい。
いちた式ネットでヤバい人の見分け方、というものがあります。
その人はチェックリストに入れてたんですけど『やっぱり絡んで来たかw』と思わず笑っちゃいました。
ツイッターのDMとか、ラインとか、メールとか。
ネットでも、個人対個人じゃない場所で、意味不明な距離感で説教垂れてくる人間は絶対に関わらない方がいい、というのがヤバい人に関わらない為の身の守り方です。
まぁ、遂に俺も絡まれたかって感じですね(笑)
諫言をくれるのは凄く良い事です。
いさめてくれる人がいなければ、国は滅んでますから。
ただし、その諫め方には問題がありまくりだ。
いきなり頭の悪い人間のように扱われてカチンと来ました。
ほぼ初対面(ネットでw)の人間に対して吐くセリフではなかったです。
本当にこういう人間もいるんだなぁ、と開いた口がふさがりませんでした。
まぁ、今後一切無視しようと決めたんですけどね。
なぜこんな人種が世の中にいるのでしょうか。
というのもですね、世の中には一定数『ヒマな人間』というのが存在するんですね。
例えば顕著なのが『Yahooコメント』とか『Youtube』みたいな場所で、俗にいう所の『レスバ』とかしてる人、いますよね。
レスバ=レスバトル=意見をぶつけあう
さも創造的な書き方をしてますが、ぶっちゃけマジでどうでもいい話をどうでもいい人間同士で話してるに過ぎないことが多いわけで。
一定数いる『論破したいだけ』とか、そういう価値観が合わない人間とは一切関わる必要がないという話。
ちょっと書きたいなと思います。
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金持ち喧嘩せず
当たり前の事を書きますが、今あなたはアメリカのニューヨーク、それもスラム街にいるとしてください。
そこで、例えば『ファッキュー!!』って言われた喧嘩しますかね?
普通の人ならしませんよね。
なぜなら、そこに住んでいる人間は自分とは違う人種だって分かってるから。
で、これをさっきの話に繋げますけど、意味の分からない場所で、意味の分からないバトルするような人間にあなたは関わりたいですか?
私は、この質問を投げかけた時に、99%の人は『関わりたくない』と答えるでしょう。
そうです、これが結論なんです。
100人いたら、1人はおかしい方が世の中に一定数存在する。
そんな人間に出会えるのが『インターネット』という事なんですね。
絶対に無視した方がいい
有名人の方もハッキリ公言していますが、変な人間はスルーするのが一番良いです。
私のような瞬間湯沸かし器な人間は『イラっ!!!』と来たら攻撃してしまうのですが、やっぱり一歩抑えるようにはしています。
ケンカや論破したいだけの人間って、つまり目的が違うんですよ。
『議題に対しての具体的な解決策を考えよう』ではなくて。
『相手を公共の面前の場で打ち負かす事が快感』になっているんですね。
じゃあ、もう打ち負かされたとしましょう。
そうですね、私が『錦織選手はテニスが下手だ!!!』と言います。
こんな事を私が書いたら、1秒で『お前の成績は?そんな事言えるくらい上手いの?』と言われて終了。
そうですよね、私が悪いです。
それで、ここが本題です。
『私を打ち負かした人間』って、誰なんですかね?
会社の上司=大事に聞き入れる
会社の同僚=大事に聞き入れる
リアルの友達=大事に聞き入れる
リアルの先輩=大事に聞き入れる
リアルの彼女=大事に聞き入れる
ネットの他人=???
ネットの他人以外の方に『そんな錦織が下手だとか言ったらダメだぞ!』と言われたら、そりゃ『はい』って言います。
でも、ネットで、例えば僕のこのブログで書いたとして。
すっごい攻撃的になる方っていうのは一定数いるわけじゃないですか。
それに対して、何も考慮する必要はないと思うんです。
言論の自由という言葉がありますから、言うだけなら言っていい。錦織下手くそ!っていうのも。
人間関係がしっかり構築されてない人間が、意味の分からない絡み方をしてくる事ほどウザい物はない。
否定的に入るのはバカだって出来るわけで、なんでもかんでも『ダメ!』って言うなら他人に絡むような場所に姿を見せないで欲しい。
もしくは、コメントしないで一生ROMってた方がいい。
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こっちが論破するのも時間の無駄
僕が30代になって学んだ、最大の事象と言っても過言ではない。
『類は友を呼ぶ』説。
これだけは、もう人生の価値観が変わってしまったくらい、実感しています。
なぜ、夢が成功しないのか?
なぜ、お金が欲しいとずーっと言ってるのに収入が上がらない人がいるのか?
それは自分の周りにそういう人間が一切いないから、自分に影響を及ぼしてくれないからだと確信しています。
結局ですね、価値観が違う人間に対して僕たちはそれを矯正する時間なんて死ぬほどもったいないわけなんですよ。
人の人生を生きるな、っていうブログテーマの時も書きましたが、もう一度書かせて頂きます。
論破するのもされるのも、ハッキリ言って無駄にすぎないと思う。
相手を見てやるべきで、それが自分の後輩とか友達とか、間違えてる事をしてる事をなんとしても止めたい!のであれば言う必要はあります。
しかし、極論になりますが、政治とか宗教とかってそういう事じゃないですか?
戦争が無くならない理由も同じですけど、どっちも正しいと思って戦争してるから無くなる訳がないんですね。
だから、類は友を呼ぶんですから、自分にとって自分の一番居心地のいい人を探して、見つけていくっていうのが一番幸せなんじゃないかな?
もちろん、僕が言っているのは『楽な方に逃げろ』って意味じゃないです。
楽な方には逃げないで、苦労しないといけない場面なんて多々あるわけで。
その時には他人の力を借りる時が必ず来ますし、感謝をして常に挑まないといけない。
しかし、不必要だって自分が思うなら、その時は無視した方が絶対良いと思う。
店員さんへのタメ愚痴問題とか、とかく『人と人との距離感』とか『価値観』みたいなのが問いだたされてるのが現代の事情。
私も改めて振る舞いという物を考えてみたいなと思いました。