HONDA技研の創業者
本田宗一郎さんの名言
※引用元 名言DB様
技術屋ってのは、手でモノを作る商売なんで、しゃべったり、文章を書いたりするのは俺は苦手なんだよ。
その俺にかしこまった人生訓だの家庭訓だなんて苦手だね。
だいたい、おれにとって家庭訓が一番難しいってことは、世間様のほうがよく知っているよ。それでもまあ、自分の生き方を強いて言うなら「当たり前のことを当たり前にやる」ってことかな。
こんなことは人生訓にゃならないかもしれないけど、俺はこれまで当たり前のことを当たり前にやってきたつもりだよ。
当たり前のことを、当たり前にやる。
かなり抽象的な表現ですが、いったい何を指してるのか。
僕の話になりますが、僕は当たり前のことを当たり前にやらないで、捻じ曲げて行ってきました。
例えば学校の登校とかも、365日遅刻しないで学校に来るのが当たり前。
別に遅刻魔とかじゃないんですけど、3か月に1回くらいは遅刻したりする。
僕のような人間は大勢いるでしょうが、よく考えたら『皆勤賞』という物が世の中にあって、それだけで立派な表彰になるくらい。
風邪もひかない、自分の体調管理もしっかり出来ているような人が皆勤賞を取っていますよね。
その人たちって、今思い返せば『スポーツ万能』『学業優秀』だったり。
こんな当たり前のことすらできないで、裏技みたいな生き方ばかりしてるから20代を思いっきりクソみたいな人生にしたのが私です。
当たり前のことを当たり前にやる(考える)必要性、というものを30代に入って凄く実感しているので、雑文を書きたいなと思います。
この記事の問いかけに対する答えは、全て『当たり前だ』で終わります(笑)
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当たり前のことを考えるのが超好きになった
例えば社会の仕組みですが、お金をもらって生活をするために、多くの人は働いていますよね。
働いて分かったのは、稼げるお金が多ければ多いほど『立派な仕事』というわけでもないらしい。
お金を稼ぐことと、やりがいは全く別なんだ、と30代に突入してから分かりました。
こんなくっそ当たり前のことすら気づかずに、お金が多く貰える仕事が出来れば幸せだ~なんて。
確かに幸せに思えることも多い。
しかし、それと仕事で人生を有意義にとても楽しい物にするというのは全く別だ。
そもそもの話、なんで多くの企業って8時間とか9時間労働で仕事が終わるんですかね?
仕事って、人様のお役に立つことが全ての根源にあるわけで。
人様の役にめちゃくちゃ立っていて、かつ面白ければ8時間以上働きたいって絶対思うはずなんですよ。
って事は、始業時間から終業時間ピッタリで帰る人ってこの一択しかない。
好きを仕事にしていないから
(仕事に楽しさを見つけられない状況にあるから)
それで、こんなことを書いたら『仕事に楽しいもクソもあるか!!』みたいな論法が登場するので、もう少し補足します。
そりゃ、人様がやりたくないことをやる事こそが、サービスの本質みたいな話がありますが、でも『楽しい』と自分が思えないから長時間出来ないんでしょう。
『仕事を楽しくするように、自分で最大限努力をしていたのか?』
私が仕事に対する価値観ががらりと変わったのが、これ。
例えばペッドボトルのキャップを閉める仕事があったとして、延々と12時間も出来るかって話。
普通は嫌ですよね。
でも、世の中にはそんな仕事もあって、立派に働いている人も沢山いる。
って事は、この2択なのかと推測できる。
①そういう仕事が好きな人がいる
(黙々と作業するのが好きな人のこと)
②12時間ペットボトルのキャップを閉めても楽しく感じられる何かがある
(お金や職場環境などの副次効果)
おそらく、①の理由が主でしょう。
そうです、私が当たり前のことを当たり前にやることの重要性を考えた時に、思うこと。
『そもそも人を全て画一化してる事が間違い』だと、私は気づいたんですね。
当たり前のことを当たり前に出来るってだけで凄い
ペットボトルキャップの話をしましたが、これに似た仕事を学生時代にしたことがあります。
延々と冷凍庫のダンボールを積み重ねるだけの仕事で、半年ぐらいやってました。
最初はつまらなかったんですけど、段々と綺麗に並べる事の楽しさみたいなのに目覚めた私。
現場監督の人に『よく続いてるね』と褒められたのは嬉しかったです。
親に整理整頓をきちんとしろ!と言われて、一切やらなかったのにお金がかかると急にやっちゃう。
こんな当たり前の事すら、日常生活の俺は出来ないのか!?と思うと嫌気がさす。
そして、またこう思うんです。
『当たり前のことを当たり前にするって努力のことなんだ』と。
1+1=2
これがなぜ当たり前に思えるかって、当たり前のように小学校を日本国民が出てるからだ。
これを一気に飛躍させます。
お金をいっぱい稼ぐ為にやりたくない仕事を沢山やっているが、それは苦でも何でもない。
やりたいことの為に、やりたくない事を沢山するんだ。
多くの社会人がジレンマに捉われている、仕事と金銭の問題ですよね。
この後の『やりたい事のため』というキーワードが、私は凄く重要な事に気づいたんです。
多くの方が、このような分類になります。
①いっぱいお金を稼ぐことで、趣味や恋人など自分の生活を充実させる為に仕事をする
(自分の私欲)
②更なる面白い仕事の為に、やりたくない事で資金を作ったり経験を積む
(自分の成長)
③支えなければいけない家族との幸せの為に、やりたくないことをする
(周りの幸福)
どの理由にせよ、やりたくないこと(仕事)をしてやりたい事の為に頑張る、という行動に変わりはないわけだ。
ただ、世論の多くが間違った当たり前を伝えていることに気づいたんです。
①が絶対正義であり、仕事は嫌な事をすることが当たり前だ!でないとお金が稼げない。
さもそれが『当たり前』のように、価値観が蔓延してる事がおかしいと私は思うんですね。
これさ、なんで②に派生させないんですか?
②更なる面白い仕事の為に、やりたくない事で資金を溜める
(自分の成長)
俗にいう起業という呼ばれ方だったりしますが、そこまで大げさに考えなくていいと思います。
『もっと面白い会社に転職するから、スキル積みたい』
これだって立派な自分の成長ですよね。
自分の成長が起きるのは、当たり前のこと。
ただ、同じような当たり前のことがこうささやかれている。
『大人になったら学生時代のように、好き勝手出来ないんだよ』とか
『30代に入ったら脳ミソが活発に動かなくなってきた』とか。
えっと。
これって、『いつ誰が言った』言葉なんですかね?
なんで30代過ぎたら脳ミソが動かないとか、ゲームが出来なくなるとか、定説のように言われてるのか。
ましてや『好き勝手出来ないんだよ』とか。
(社会的な責任という意味では出来ないのは当たり前だけどね)
好き勝手出来ないと思い込んでるのは、言っているその人だけなんですよ。
バッサリ書きます。
あなたはただ何も考えずに目の前に事だけこなして、未来の自分への投資とか何もせずに嫌な事ばかりやっているだけなのに。
なぜそれが当たり前の定説にするのか。
定年退職まで会社が養ってくれる時代は終わりを告げている時代。
AIが出てきてる時代。仕事が更になくなる、なんて言われてる時代。
そんな時代に、何も自分の成長とか考えずに語るな、という事に気づいたんですね。
っていうのも、30代に入って知り合った成功者と呼ばれる人たちはみんな『好き勝手やってる』という現実を目の当たりにしたから。
もちろん、その裏に潜んでいる苦難も少しだけ垣間見ることが出来ました。
会社から帰れないなんて当たり前だし、客先に頭下げて怒られるのも当たり前。
しかし、嫌な事を受け入れていく内に、段々と状況が変わってきたのを見てしまったんですね。
世の中の当たり前は、意外と当たり前じゃない。
だから、当たり前を疑う必要があると思うんです。
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当たり前のことを疑問に思う勇気
私が新卒の時の話です。
その会社は、一族経営の社長のワンマン企業。
お昼休みのご飯どきになれば、週に1回社長と飯を食うとかいう最悪のイベントがありました。
その中で社長が急に『来週からお前らプレゼンやれ』と、かくし芸でもやれといわんばかりの悪魔の宣告が。
その内容が超絶つまらない。
知識の押し付け、という名の、興味のない事をテレビを見る感覚でやらされただけです。
イラクの情勢について調べる、とか。
おいおい、俺ら理系の会社だぞ?
学ぶ事自体は意味があるけど、なんで急にそんな事をクッソ真面目に社長にプレゼンしないといけないのか。
こいつバカなんじゃないのか?と疑い始めたのはそこからです。
本社の営業マンの方に『気の毒だね』と、ボソっと言われました。
今思い出しても、クッソおもんない話。
なんでこれが『さも当たり前』のようにやらされるのか?
やらされないといけないのか。
答え=会社がワンマンだから
中国の皇帝よろしくで、諫言する人が消えてるんでしょう(笑)
別にワンマン企業ダメ、というつもりはありません。
上司に言われた言葉が『社長の言う事にイエスって言えばお金貰えるんだから、言っておきなさい』と諭されるように言わされました。
その社長を私が好きならいいんですけど、嫌い。
生理的にも無理なんです。
私の20代は、嫌いな人間の前では思いっきり顔に出るタイプ。
だからしょっちゅうふてくされた表情が出かけてましたが、それを押し殺してました。
楽しいお昼なのに、くだらねー会議で使いやがってと殺意すら(笑)
これは精神修行をする場だと、私の考え方を捻じ曲げてなんとか耐えました。
こんな当たり前のようにつまらない会議のことすら、ワンマン社長の会社では疑問に思ってはいけない。
それが社会だ……お金を稼ぐって、辛いことなんだ……。
そんな風に思っていたのに、世の中好きな小説書いてお金に変えてる人間がいるわけだ。
私の地獄のような苦しみは、まさにこういう場で表現する為に培われてきたものに違いない!
と今では感謝すらしています。
当たり前を疑問に持つことが視野角の広さに繋がる
世の中の『なぜ』と疑問を持つことが、アンテナを広げる最重要課題。
どの成功者も口を揃えて言っていますが、なぜに対して解答が用意されているのが社会というシステムですよね。
ただ、それに気づくか気づかないかの話。
『当たり前』に疑問を持つことから、理科や国語が始まるとドラゴン桜で書いてました。
確かにそうだと思う。
僕は『やりたくないことしかお金にならない』という当たり前を疑問に思った事から、自分を表現する楽しさに気づけたわけです。
このブログがまさにそうで、微々たるものですが『自分が思った当たり前』を書くようにしてるんですよね。
普段、何気なく接している事象をもう一度考えること。
もう一度当たり前のことを、ちゃんと当たり前にこなせるだけの技術と知恵を身に着ける。
私にとってはこれが目から鱗な事が非常に多くて、すっかり『なんでこれが当たり前なんだろう?』と疑問を持つ癖が出来てしまいました。
そして当たり前だ、と認識してからは気持ちを入れ替えて、しっかりと丁寧にこなしていきたいとも思います。
きっと、自分の成長と当たり前を考えることはリンクしている……と思うので、もっと結果で証明して行きたいですね。