先日、サムネイルを作っていて本当に凹みました。
『自分にはセンスがねぇ』
私は、常々『センスがないなんて言うな!』と言いながら、こんな事でセンスがねぇとずーんと気分が沈んでいました。
そんな時、ある方の言葉が心に沁みました。
バーチャルな巫女様『雛乃木まや』さんの御言葉です。
『センスがないなんて言うな!』と自分で言っている癖に、やっぱりセンスがないだけで片付けてしまった自分がとても恥ずかしかった。
才能がない、才能が欲しい。
確かに世の中には才能はある。
それは間違いない事実ですよね。
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センスは結果で覆せる
錦織選手や、この前平昌オリンピックで銀メダルを獲ったりしましたが、彼らなんか天才な上に努力を重ねてます。
今からプロサッカー選手になるセンスはないけれど、センスを養う事は出来るはず。
ダメなのは『センスがねぇ』と切り捨てる事なんですよね。
まだまだ未熟だなぁと思いますね……。
しかし、こうして才能がないとか世の中囁かれたりしていますが、半分嘘なんですよね。
というのも、結果でどうにでもなるから。
例えばですが、私は小学校中学校とサッカーをやってました。
万年補欠の2軍のクソディフェンダーです。黒歴史だと思っています。
だけど、間違えて日本代表に入ったとしましょう。
で90分間守り切っちゃって、間違えてメッシからボールを獲って10人抜きして点数入れちゃった。
そうしたら人は『すげぇ才能があったんだな!』と言いますよね。
いや、自分は才能なんてないんだけど……。
ノリで出場しちゃって、1点入れました、という結果だけですよ。
結果だけなのに、勝手に才能がどうだとか言うはずなんですよね。
そう、ここです。
つまり、結果さえ伴えば、才能なんて後から『どうにでも出来る』という事なんですね。
実際にプロになった人からセンスより結果だと学ぶ
綺麗なサムネを作れば『いちたさんはサムネのセンスがあるんだね』と思う人がいるかもしれない。
(もちろん程度が低いので、思う人は少ないですよ。だけど1000人に1人は思うかもしれない)
僕の知り合いのイラストレーターの方は、漫画家の元で修行してから会社勤めをして、そこから自分で仕事をしています。
プロのイラストレーターとして活動していますが、誰かに『あなたはプロです!』なんて言われたわけでもない。
ただ、自分がやっている事が結果として人に求められてるから、やってるだけだと本人は言っています。
でも僕から見たら『絵がキレイですね!才能が凄いですね!』と言いたくなる。
でも本人は違うという。
この矛盾って、結果という言葉に集約されるんじゃないですか?
で、世の中のみんなはお仕事をしてプロで頑張ってるじゃないですか?
サラリーマンの方だってそうですし、介護士や看護師。
工場勤務の方だってそうですし、全ての職業で全ての才能が問われている。
なんか人が尊敬する仕事だから『才能』とか言われていますけど、それ大間違いだと思うんですね。
私は人前に出ると、凄く顔が強張るんです。
大学時代にしていたレストランのボーイの時に、店長によく怒られてました。もっと笑って笑って、と。
そんな私にとって、何かを販売してる接客員の人はみんな凄いな、才能あるなと思うんです。
でも、それが当たり前に思ってる人が多いですよね。
特に接客業をしてる人同士なんて『客先で笑顔でいるのは当然でしょ?』と。
私は出来ない。出来ません。接客業に超向いてないです。
だけど、多くの人はそんな才能なんて考えながら仕事していません。
人前で笑う事が出来る才能があるから、接客しています、って言っている人があなたの周りにいますか?
なかなかいないと思うんですね。
笑って接客が出来ているという結果=才能がある
と、後付けで話をしているんです。
プロテニスプレイヤーの錦織選手に才能があるって、それは4大大会とかでバリバリ世界ランキング上位の連中と戦ってる結果があるから言えるわけで。
結果が無かったら『テニスが上手な青年』じゃないですか?
話をまとめます。
つまり、結果さえ出せば才能なんて後付けでいくらでも言えるんだ、ってこと。
僕がやっている自営業の仕事は、同業なんてあんまりいない感じの、ちょっと特殊なお仕事なんですね。
結果だけで言えば、僕の仕事は僕の『才能』があるから出来るんだ!となりますが、それは違う。
これで飯を食ってるから、才能って言ってるだけでしょ?
必要な才能は?と聞かれて、一つだけ挙げるなら『情報処理能力が速い才能』とだけ言いますが。
そんなもん慣れです。
場数踏めば誰だって出来るようになります。
結果の後に『才能』と言われるだけで、才能だけで物事をあきらめたくないな、と思いました。
もっとこだわろう、結果に。