本当に物事は視点の変え方一つなんだなぁと思う。
努力と努力と思わないって最強の精神論だし、才能だと思う。
そして『努力』と『頑張った』という言葉が、凄く似て非なるものだと思う。
今回のお話しは、本とか読んでる訳ではなく、私の主観だけで書いています。
違うな、と思う方もいるかもしれませんがご了承下さいまし。
ちょっとなが~く語ってます。
目次
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努力ってそもそもなんだろう
大人になってから、特に近年『努力』ってなんだ?『結果』ってなんだ?と考えるようになりました。
やはり結果というのは数字であって大事な物です。
しかし、過程が大事という言葉もある通り、どんな事をしてその結果にたどり着いたのか?が重要。
成功だと思うのであれば、『たまたま上手くいった。また頑張ろう』と思うこと。
近年、この『努力』と『結果』という二つの言葉にまどわされてる人が多いように思う。
かくいう私も同じなんですけど、でも一つだけ分かった事がある。
『努力してる事を努力してるっていうのはクソダサい』
超極端な例を今から述べますが、多分『確かに!』と思ってくれる人もいると思う。
スマホゲームが『努力』の良い例
友達と話をしていた時のこと。
飯を食いながらもずーっとモンストやってて、私もやった事あるんですけど『よくそこまで出来るよな』と驚いてました。
かなりの時間をスマホゲームに費やしていて、それでいて『もっと人生成功したい』的な発言しちゃってる人。
別に発言するのはいいんですけど、っていうか、そのスマホゲームをそんなにやるって……。
それ、俺から見たら『努力』なんですけど(笑)
いや、あのモンハンとかありますよね?
10時間20時間じゃ済まない時間を注ぎ込んで、みんなクエスト行ってるけどさ。
つまらないって思ってる人からすれば『努力』以外の何物にも映らないんですよ。
同じように、僕も格闘ゲームとかにとんでもない時間を費やしてきました。
やらない人から見ると『凄い努力してる』って思うかもしれない。
でも、当の本人は『これが努力』なんて微塵も思ってないわけですよ。
だって楽しいんだもん。
そりゃスマホゲームは楽しいですよ。
新しいクエスト的なの出た時だけ頭使うけど、それもすぐにwikiとか攻略情報とかで載っちゃう時代。
頭使うのは一瞬だけで、後はどれだけ時間をかけられるか?って話だけどさ。
はたから見れば『努力』に近いようなゲームの話も、本人からすれば『好きだからなんとも思ってない』に変わる。
努力の本質って、自分が『頑張れること』なのかどうかじゃないのかと思うんです。
数学者の話
数学、嫌いな人多いですよね。
日本人の大半は文系ですし、私も理系ですが数学は大嫌いです。
数学者なんて頭おかしい人達じゃないか?と今でも思えます(失礼)
しかし、先ほどの話をまんま置き換えてみると、大好きな数学の仕事に就けるなんて幸せこの上ないわけですよね?
モンハン好きな人がカプコンに就職して、モンハンの開発チームに行けばきっと『ここは天国だ!!』とかなるはず。
ちなみに私はモンハンが大嫌いなので、地獄です。
ちょっとしたトラウマがあるので(笑)
価値観の違いってだけの話なのに『あの人は凄い努力してる』とかいう事自体おかしい。
努力って本人は思ってないかもしれないのに、勝手に僕たちは『あの人は努力してる』と評価する。
人間の本質としてしょうがないのでしょうけど、すぐに『努力』という言葉を使うのはおかしい気がするんです。
努力したっていうより『頑張った』が正しい?
どんな人間にだって長所はありますよね。
接客が凄く上手な人に、私は『凄く接客について努力したんですね』と言いたい。
言いたいですが、意外とそういう人は『好きなので本とか読んでお客様への対応とか勉強しました』みたいな返答をするでしょう。
同じように、サッカー選手とかスポーツ選手もそう。
錦織選手に『テニスで凄い努力をしたんですね』と問いかけても『まぁプロの世界なので当たり前の事をしてるだけです』とかいうかもしれない。
私が思うに『努力した』じゃなくて『時間をかけて取り組んだ』という言い方の方が正しい気がしてきてるんですよ。
他人が見たら『努力してる!』と思う事でも、本人は違うと思うならそれが事実だ。
だから、私たちがこれから何か新しい事をする時は『努力』という言葉を用いてはダメだと思うんです。
『ちょっと時間かけて頑張ってみたわ』くらいで留めた方がいい気がする。
別にそこを『ちょっと努力してみた』って言っても良いですけど、言葉のあやの問題に思えるかもしれませんが違うと思うんですよ。
時間をかけて頑張った(自分の好きな事だから集中して取り組めた) 〇
こうじゃないかな。
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小説家で努力したっていう人を見た事ない
私の知り合いにプロ作家の方がいらっしゃるのですが、その方たちと話をしてて凄い思う。
『努力しました』なんて言ってる人間が一人もいないんですよ。
ここマジで。
マジで『私は作品を書き上げるのに凄く努力して設定とかキャラクターとか、下調べをしました』なんて人いないんですね。
『時間かかったけどなんとかやった』とか『今回は大変だったな』とかそういう話は聞きます。
誰一人として『努力しました』なんて言い方してる人いないんですね。
これが何を表してるのか…。
おそらく、というか…まぁハッキリ書きましょうか。
過去の自分がそうだったし、多分…こうだと思うから。
『努力してない人ほど努力したっていう説』
これだと思う。
成功者はみんな同じことをいう
『あの時はそうですね。会社を大きくする為に毎日朝帰りでしたね。一生懸命頑張りました』
という社長さんはいますが。
『すっごい努力したよ!!もうめっちゃ努力した!!』っていう人ほど、成功してないんじゃないか?(笑)
っていうか、この事柄ってあれにそっくりなんですよ。
『もう世の中に疲れた!!自殺する!!』って公言しちゃうパターン。
本当に死ぬくらい鬱だったら、人に言わないで亡くなる方が大半じゃないですか?
そこをなぜアピールするのか。
結局、重い通りに行かない自分を助けてよ!っていうアピールでしかならない。
努力と頑張るは似て非なるもの
言葉って不思議ですよね。
『一生懸命頑張りました』と『努力しました』がなんか同じように聞こえるんですけど、違うと思うんです。
(好きなことだから)一生懸命頑張りました。
(嫌いな事だから)努力しました。
(好きなことだから)努力しました。
(嫌いな事だから)一生懸命頑張りました。
これって似てるように思えるけど、好きな事やるのに努力って言葉はなんか違う気がする。
努力という言葉は、目標の為に頑張ること。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/161453/meaning/m0u/
嫌いな事に対してするのは『努力』
好きな事をやってるのは『頑張った』
多分、こういう事じゃないかな。
成功しない人は『いっぱい努力したのに!!』とか言ってる時点で、負けてる。
好きな事に挑戦してるだけで幸せなのに、そこに結果を求めたいから『努力したのに!!』みたいな言い方になっちゃう。
何も言わないで黙々とやりましょう
私はここ数年、明確に自分の態度を改めた事があるんです。
そして、これは自分で誇りにも思ってるんです。
今まで書いたことは全部、過去の私の口癖でした。
何かすれば『こんだけ努力したのに世の中どうなってんだよ!!!』みたいなことばっかり言ってた20代。
今では『俺はこれだけやった!!』という言い方はしないようにしているんですね。
「まぁこれくらいはやったけど、みんなやってるからもっとやらないと」
というのを口癖にするようにしました。
自分の本心では『なんで上手くいかないんだよ!!』と強く思ってる事の方が多いです(笑)
でも、これを人に言ったところで『愚痴』にしかなりませんよね?
私がその人に『こんだけやったのに!!!』と話をした所で、状況が打開するのでしょうか?
その人が、私の努力の矛先にいる人でしたら『聞いてくださいよ~ ちょっとこれだけ頑張ったのに…何か方法はありませんか?』という言い方はします。
全くの他人に対して、そんな頑張ったとか言わんでいいと思う。
むしろ話せば話すだけ、自分が安っぽくなる気がするんです。
特に作家をやってると『凄い良い小説を書いた』と自画自賛したくなるものをみんな作ってます。
しかし、それを人に言ったところでどうにかなるのか?
お笑いと一緒で、ハードル上げる事にメリットなんてあるんですかね?
むしろ言うだけ自分を安くするし、そこはやってきてる事を見てくれた方がスッキリする場合もあると思うんです。
言葉で言わないと分からないことも多いけど、話すべきこととそうじゃないことの区別をしっかりとつけると良いと思う。
もっと謙虚に生きていくためにも、努力の方向性を間違わないようにしたいと思う自分であった。