故スティーブ・ジョブズ氏の名言でこんな言葉があります。
発言されたのは2005年にスタンフォード大学の卒業生へ向けてのスピーチの際ですね。
この言葉の意味、学生の頃は分からなかったんですけど、今になって凄く理解します。
そして、どういう意味なのか分かると同時に、自分が今までしてきた事のほとんどが『他人の人生』を生きてきたように思える。
他人の人生、自分の人生とはいったいどういう事なのか。
まず、その定義から決めないと話が進みません。
ジョブズ氏が話す『他人の人生』とは、他人の価値観に付き合って時間を浪費する必要はない、という意味です。
もっと簡単に言えば『やりたいことをやれ』という意味合いに近いでしょう。
確かに成功する為には好きこそ物の上手なれという言葉があるように、まず好きな事を追求していけばお金になる理論もありますね。
ただ、世の中そう簡単には行かないわけで。
『食べていく為に仕方なく仕事をしているんだよ!そんな簡単に自分の好きな事だけ出来るかっ!』っていう人が大半です。
私もそうです。まだまだやりたくない事でもやらないと、食べていけません。
ただ、今は私の中で『他人の人生を生きている』という感覚は一切ないです。
自分の意思で、動いているとハッキリ自覚できるのです。
これは私の意見なので、参考にならないですが、この言葉の意味を私はこう解釈しているんですね。
『人が作った物だけに人生を流されるなよ』
と私は解釈しているんです。
もう少し具体的に書いてみましょう。
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いちたが思う『他人の人生を生きる』とは?
僕は『他人の人生を生きる』という言葉は、『人が作った物になんとなく乗っかってること』だと認識しているんです。
これの最たる例は、テレビにスマホゲームです。
両方とも共通して言える事ですが、誰かが作った番組を見るだけだし、スマホゲームを適当に遊ぶだけです。
ここで勘違いして欲しくないことがあります。
その行為をする時に、あなたの『意思』が強烈に乗っているかどうかだと思うんですね。
例えばテレビを見る、というのは誰だって観るでしょう。
私も観ます。
ただ、私は『くだらねー番組』と思ったらテレビの電源を切って執筆や仕事します。
そこで『面白い番組ないかな!? だったらネットフリックスでも観よう』ということを、『当たり前』のようには絶対しません。
それが日常化するとどうなるかって、誰かが作った作品を、ただ観るだけの毎日になりますよね。
スマホゲームも同じで、金稼ぎの為に会社は沢山のスマホゲームを作ります。
例えば攻略ブログを書く為に真剣にプレイする、とか、どうしても1位を獲りたい!という強い意志でやっている分には、おそらく『後悔』という二文字はその人には無いでしょう。
ただ、これが常態化すると『あーログインしないと。とりあえずイベント回すか』って事になりますよね。
それが一つ、二つのゲームでなら『余暇』として見過ごせますが、5,6個となればどうなりますか?
もうスマホゲームをやらないとダメな身体になりませんか?
他人が作った物に思いっきり乗っていますよね。
個人の価値観、捉え方なので、それで『私は後悔してないよ!』というのなら『他人の人生を生きていない』と私は思うんです。
ただ、少しでも『自分はこんなことがしたいわけじゃないんだけど、なんとなくヒマだから……』という具合に流され続けると何も達成しない、何も生産しないままその生涯を終える事になりかねません。
その時、初めて『他人の人生を生きたな……』と後悔をすると思うんです。
私が思うに、自覚して他人の制作物に乗るなら一向にかまわないのですが(私もエレストというオワコンスマホゲーをやってますし、やっている自分に後悔は無いです)
少しでも『あー時間持ったいねぇ』と思うならやめた方がいいと思う。
クリエイターをすれば他人の人生を生きないと思う
基本的に、人が作った制作物にクリエイターは乗らないんですね。
作家だけじゃなくて、ミュージシャンとかもそうですけど。
自分の作品作りよりも他人の作品に触れている時間が長い人なんて、まずいないと思う。
プロアスリートも同じ。
自分の練習の為に多くの時間を取りますが、余暇以外の時間で人がやってる所なんて、対戦相手の研究とかそういう目的じゃないと観ないでしょう。
私の知り合いのプロ作家の人全員に言えますが、自分に有益な作品だったり、付き合いで作品を読むことはあっても、進んでどうでもいい物に乗っかっている人を見た事が無いです。
気になって調べる、くらいはしますが、そんな暇あるなら自分の作品を書いたり、見識を深める為に飲みに行ったり、遊びに行ったりと『作品』に繋がる事しかしていません。
私もそこは同じですが、小説に関してはアマチュアの方の作品はほぼ読みません。
(自分がアマチュア作家ですが、これは私の個人としての価値感なのでアマチュア作家かどうかは関係ないです)
なぜなら、前はガンガン読んでいましたが参考になった事が書籍作家に比べて1/10もないからです。
文章力が上達するわけでもないし。
私はアマチュア作家として慣れあいを求めているわけじゃなくて、自分の本を出版したいわけで。
そこにプロ作家の作品を読むという行為は必要ですが、アマチュア作品はほとんど読む必要がない。
それこそ、他人の人生を乗っかるようなものだと考えています。
他人の人生を生きるかどうか、生きているかどうかを実感してるのは『自分』しか認知出来ません。
私から見ればアイドルを追っかけている人は人生の時間の無駄、と思えますが、当人たちは逆の事をおっしゃると思います。
(ここも個人の価値観ですので、私が思っているだけです)
そんな事を言ったら、小説書く時間だってバカだ、という人もいると思います。
『プロ作家でもないのに、そんな必死になって時間無駄でしょ』と思う人もいますよね。
実際バカだと思います。
でも、書くことが好きなバカだからこそ、化けるかもしれない職業だと感じています。
それなら何も考えないでテレビやらスマホやら弄ってる方が楽しいです。それは分かります。
だから、人がどう人生を生きているかなんて、誰にも言う権利はないんですよね。
ただし、何かを後悔して気づいた時にはもう遅い、という事だけは不変の事実です。
人の人生にどうこう言う事自体間違えているのを承知で、一つだけ、書きたい事があるんです。
なんかクリエイティブな事に挑戦した方が、自分の人生を『生きている』という感覚は得られると思う。
これに気づいたのが30歳を過ぎてからなので、私は超遅く気づいている。
ツイキャスとかでどうでもいい他人の、どうでもいい配信を見てる人を見ると『寂しくてやる事無いんだろうな、その時間を分けて欲しい』と常に思っています。
(個人の意見ですのでノークレームで)
その配信をキレイにまとめて、作品にして残す、とかなら話は分かるんですけど。Youtubeみたいに。
垂れ流して放送するのって、もったいないなと思うんですよね。
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僕は人生を無駄にして生きてきた
なぜこう強く思うのかって、10代20代の私がバリバリそっち寄りだったからなんですね。
他人の人生がどうこう、なんて偉そうな事一切言えないですよ。
ヤフーチャットで知らない他人とコミュニケーション取ったり、色々やってました。
今の若い子たち以上に、ネットに没頭していました。
(これに関しては仕事に活きているので、一概に無駄とは言えないですが9割は無駄です)
ネット関係の色々があり過ぎて、それだけで1万文字くらい書けます。
もの凄く後悔している事が多数あります。特にゲーム関係。
週に6日はゲーセンに3時間、4時間は当たり前でした。
10代の時にもっと真面目に勉強していたり、小説を書いていたら今頃……と思うと、悔しくてしょうがない。
そのゲームだって、人より少し上手いくらいで梅原さんみたいにプロゲーマーになれたわけじゃない。
結局残った物は『格闘ゲームに燃えていた10代』という無駄な肩書。
これで何か、金になる事を生むんですかね?
何も生まないですよ。世間的には。
梅原さんみたいに圧倒的に強かったら価値が出ますが、ちょっと強いくらいで飯は食えません。
作家としては活かせる所は全部活かしてやろう、とこの経験を使いたいとは思っています。
そういう作品が『ハイスコアガール』という漫画だったりしますね。アレは実に面白い。
楽しかった記憶だけはありますが、SNKとカプコンの人生を生きていただけ、と酷く後悔している方が大きいです。
10代のゲームに燃えていた時は、こんな『他人の人生』とか『自分の人生』なんて考えてもいなかった。
ただ、他人と戦いたかった。
あの時間を全て、今の創作の時間に充てたくてしょうがないんです。
だから、私は『他人の人生』を生きているかどうかを常に自分で考えながら、生きたいなと思いました。
(と言いながら、三国無双8をやっている時点で説得力が薄れますが、少しだけ遊ぶっていう乗り方ね(笑)