こんにちは、いちたです。
ちょっと思った事があったので、少し書き記したいと思います。
っていうのもですね、私は30歳過ぎてやっと『世の理』ならぬ、自分で生きるという事を強く意識して生活しています。
そうなると、類は友を呼ぶ状態だった旧友の人間とは縁をバンバン切る(切られる)わけで。
おかげ様で、今は自分にとって『人間関係』でストレスを感じることはあまりありません。
で、旧友の後輩と飲んでてふと思ったんですよ。
『コイツ、俺が大変な時になんもしてくれなかった奴だ』
私は物事を損得だけで考えるのは良くない、とは思ってます。
しかし、当たり前の話しますが……
『冷遇されてる時優しくしてくれた人こそ、本当の友人』と言えるのは当然ですよね。
億万長者になってから『いちたさん~!』ってすり寄ってくる昔の人間なんて知れてる訳だ。
果たして、奢る価値のある人間なのかどうなのか?を考える事は意味がある事だと思う。
そして自分の価値を上げるためにも、奢ることはやはり人生に余裕をもたらすことだと思う。
目次
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そもそも奢る価値がない人間とは?
『人に奢らない場合』
一般的な観点で言うと、大体次の通りでしょう。
②そもそも嫌いな人間
③普段から全然接しない初対面の人間(ビジネス関係ではない)
じゃあ、『奢る場合』はどういう場合でしょう。
②普段からお世話になってる大好きな人
③前に奢ってくれた(自分を大切にしてくれた)人への恩返し
大体この3パターンじゃないですかね。
奢る価値がない人間=自分と関わっても何もプラスに働かない
おそらくですが、私はこうだと思ってます。
しかしメンツの問題で奢る時がある
まぁ後輩で、凄く仲がいい人間には僕はガンガン奢るタイプです。
逆に奢られることも多々あります。
しかし、意味のない奢り方って本当にあると思うんですよ。
それが『普段は自分に何もしないのに、奢る時だけ来るっていう人間』です。
たまにいますよね、『奢ってくれるなら行きますよ!!』みたいな人。
もしくは『今日金ないです』(いつも)と言っている人。
これってマジで意味ねーなと…。
だから、奢りたくないから『1回奢って二度と絡まない』が正解だと思うんですよ。
金を払うことによって、冷静に考えますよね。
『あれ、この人って自分に何かしたっけ?』と。
ただで無料だから、物事に鈍感になりやすい。
しかし、そこに金銭という人生で一番大事な物をぶち込むことで、冷静にその人間を見極められると思うのです。
だから、奢った事は決して無駄ではありません。
奢ること自体は凄くメリットのある行為だと思う
お金の巡りにも関係しますが、人に尽くせばそれだけ後で返ってきますね。
これは自明の理です。返報性の法則です。
ちょっと宗教っぽくなりますが、後で返ってきます(笑)
それは、自分が窮地に陥った時に、もしかしたら助けてくれるかもしれない。
だから、奢る事自体は悪くないとは思う。
まぁ、これは僕の価値観なんですけど、女性には絶対に奢るね。
奢られて当たり前だと思ってる存在だし、それくらいの甲斐性を普段から見せないとなんだかんだ後でうるさいのが女性じゃないですか?
ただ、たまには『お金出して』と言います。
そこで断ったり嫌な顔をする女性とは、二度と会いません(笑)
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いつも奢られるだけの人は気を付けた方がいい
これは経験談なので、はっきり言います。
僕は20代の頃、奢るとかほとんどありませんでした。
お金もなかったしね。
しかし、その時より今、人に会った時に何か施してる時の方が運が巡ってきてるし、助力されてる気がするんですね。
そして、僕自身も年上の方とご飯を食べた時には奢られます。
そんな時、皆さんは必ずこうおっしゃります。
『自分には奢らなくていいから、後輩におごってあげなさい』
これ、どういう事かって……。
『君の価値は十分に分かってるから、自分には奢らなくていい。その代わり、後輩に奢る事で君の価値を上げなさい』
意訳になりますが、多分こうだと思うんですよ。
その目上の方は、世の中の法則を熟知している。
人に奢る事で借りを作れるし、立ち回りにおいて有利になる。
格闘ゲームもそうですが、みんなコンボ練習してるけど一番大事なのは『立ち回り』ですよね。
人生も同じで、すげぇ仕事の出来る人でも周囲の反発を食らえば失脚します。
それは歴史が全て証明していますね。
『人生の立ち回り』を円滑にする為に、奢ること
これこそが、奢る奢らないの本質なんじゃないかなと思うんです。
奢られるだけの価値のある人間になる
もう少し踏み込んで考えてみますが、奢るって言葉の本質は何か?
奢る=飲食代金を出す=相手の為にお金を出す
つまり、相手の為にお金を払ってる。
じゃあ、奢ってる人間は『自分』という人間に価値を感じてくれたのか?ってことですよ。
女性誌などで『奢るのが当然!』とか『奢られるのが当然!』とか言ってたりしますけど、それって……価値の問題になりますよね。
私は女性には奢る、と紳士的な事を書きましたが、マジでクッソイラついた時が3回くらいあります。
話してもつまらねぇ、返答がつまらねぇ。
『僕』という人間に価値を感じてないなら、開幕2秒で店出ろよって話です。
それなのに『ご飯だけ食べるけどこの人の事は楽しませない』という態度が気に食わないのです(笑)
世の男性の多くはそう思った事1回や2回あるでしょ?
でも対男性でも同じですよ。
楽しい時間、これをやはり作らなければ奢られてる側としての義務を果たしていない。
まぁ、そこまで細かいことを考えて『奢る奢らない論争』で生きていたら、つまらないですよね。
だから、僕はこれからもお金がある時は奢りたいとは思います。
ただし、毎回奢って貰うという魂胆であったり、そもそも人間的な魅力を感じない人にはビタ一文出しません。
自分が大変な時に一切助けてくれなかった人間を、優遇する事こそ、歴史的には後々得をします(笑)
まるで春秋戦国時代の、秦と趙みたいな。
日本で言えば、『敵に塩を送る』の語源である、上杉謙信と武田信玄が有名です。
人に可愛がられる人間になりたいですね。
最後ですが、こちらの服部慎也さんのブログを読んで凄いなと感銘を受けました。
ぜひご一読して見て下さい。