誰しもが当たり前のように毎日あいさつをしていますが、あなたはその語源を知っていますか?
朝は「おはようございます」
昼に会ったら「こんにちは」
夜になったら「こんばんは」
そして人と別れる時は「さようなら」
などなど、あいさつには色々なものがあります。
人とのコミュニケーションを図る上で、あいさつとは絶対になくてはならないものですね。
今回は、あいさつの驚きの語源について紹介します。
スポンサードリンク
目次
あいさつは仏教に由来していた。
そもそもあいさつの言葉は仏教用語に由来しています。
あいさつを漢字で書くと『挨拶』です。
『挨』の意味は押す・打つ・推しはかる・触れる
そして『拶』はせまる・近付く、という意味を持ちます。
実は禅宗の修行の一つで、お互いが質問をしあうこと『挨拶』と呼んでいました。
師匠が門下の層にどの程度修行が進んでいるかを試したり、僧同士で相手の力量を測るため一方が積極的に攻め込み、そしてもう一方が切り返す…こうしてお互いの境地や力量を測っていました。
『挨拶』にはもともとそういった意味があったのですね。
禅家では「一挨一拶(いちあいいっさつ)」という言葉もあるくらいで、それほどまでにあいさつは大事なものでした。
こんな身近に仏教の言葉があったのは驚きですね。
お互いが質問しあう、これが一般化されて、人と会ったらあいさつするというのが礼儀になったのです。
まだまだあった!日常に隠れた仏教の言葉!
あいさつ以外にも、実はこんな言葉が仏教に由来していました。
・馬鹿(ばか)
実はサンスクリット語のモハ(無知、迷いという意味)という言葉の音写です。
また仏教辞典では愚か者と説明されています。
(馬鹿には諸説あり、中国の秦の時代の趙高が由来ともされていたりします)
・我慢(がまん)
サンスクリット語のマーナの漢訳です。
仏教ではおごり高ぶる煩悩が七種に分けられていますが、我慢とはその中の一つです。
自分(我)に執着することから起こる慢心を意味していて、我慢は『我を張る』『強情』などの意味で使われるようになりました。
私たちが知っている我慢の意味は一生懸命耐え忍んで辛抱するイメージがありましたが、仏教の言葉ではあまり良い意味ではないようですね。
・大丈夫(だいじょうぶ)
元々、偉大な人を指し『菩薩』を意味する言葉として用いられていました。
丈は長さを表す単位、そして丈夫は健やかで強い立派な男子を象徴して表しています。
そこに大変優れているといった意味の『大』がついて『大丈夫』となり、インドから仏教が伝わる中で『菩薩』を表す言葉にもなっていたのです。
・諦める(あきらめる)
この言葉は挫折したり、途中でやめてしまうなどのネガティブなイメージが強い言葉ですよね。
でも実は元々、諦という言葉はサンスクリット語の漢訳で、サッティヤ(真実)を意味する言葉です。
つまり諦めるとは仏教語では真実を悟るという意味になります。
だからといって出来ないと悟って「じゃあ諦めようっと!」なんて、今やっていることや目標を投げ出したりはしないで下さいね(笑)
・自業自得(じごうじとく)
悪いことをしたら必ず自分に返ってくる、という意味ですが、仏教では『自分のやった行い(業)にはそれに応じた結果(得)が返ってくる』という意味。
これは悪いことだけではなく、良いことも含まれます。
悪い行動よりも良い行動をして、良い結果がたくさん返ってきますように!
まとめ 言葉には歴史が隠されている
現代では、あいさつとは相手に対する意思表示や、コミュニケーションをとる上でとても大切なものです。
しかし、その語源の由来が仏教用語であったことに驚きですね。
私たちの日常の中にはあいさつ以外にも仏教の言葉が由来している言葉がたくさんあります。
次にあなたが今回紹介したこれらの言葉を使う時は、ぜひ本来の言葉の意味を思い出して使ってみて下さいね。